■ 医事紛争Q&A  (平成8年6月1日 北海道医報掲載)

「診療録の証拠保全」
               北海道医師会 顧問弁護士 黒 木 俊 郎


裁判所書記官から私の病院に、突然の電話があり「今日午後から診療録の証拠保全のため病院に出向くので、準備しておくように」と言われました。まだ、患者から医療事故の裁判を起こされてもいないのに、裁判所の言うとおり診療録などを提出しなければならないものでしょうか。


基本的には応じる義務があります。医療事故の裁判では、診療録などの医療関係記録が最も重要な証拠となります。しかし、正式裁判まで待っていると改ざんされる恐れがある場合には、民事訴訟法第343条の「証拠保全」の制度を利用して、患者は提訴前でも診療録の証拠調べの申立ができます。この証拠調べに応じない場合には、改ざんなど不正行為の疑惑を強めますので、病院側が後日法廷に診療録などを提出しても、証拠としての証明力を認められない恐れがあります。証拠保全の方法として、裁判官が病院に来てその場で証拠調べをする場合と、診療録を裁判所に提出せよという提出命令を出して裁判所で証拠調べをする場合と二通りあります。
ご質問のケースのように裁判官が乗り込んでくる場合の対処方法として、次の点に留意して下さい。
 
  1. 裁判所職員と一緒に患者側弁護士が同行してくるので、混乱を避けるためすみやかに全員を応接室や会議室に案内し、診療の妨げにならないようにすること
  2. 病院事務局長など事務職員が応対し、担当医師はその場に立会わないこ
  3. 証拠保全決定には、対象になった書類を明記してあるので、その記載に該当する書類だけを裁判官に提示すること
  4. 裁判官は、書類の原本を確認して証拠調べをし、書記官が病院の機械を借りてコピーする。写真を撮ることもある。その際に書類が破損したり、原本を元に戻す際に乱丁落丁などが起こらないよう注意すること
  5. コピーが終るとその場で必ず原本の返還を受け、以後、正式訴訟になって病院側弁護士に引渡す日まで厳重に保管すること
  6. 地元医師会に連絡し、すみやかに医療事故報告書を提出すること


【質疑応答】

A医師:カルテが証拠保全されるケースが増えているようですね。

黒 木:そうです。患者側弁護士としては、カルテの内容も確認せずに提訴するのは、怠慢だということになりますので、現在では、提訴前に証拠保全をするのが常道でしょう。

A医師:しかし、カルテを改ざんする恐れがあるなどと言われるのは、心外ですね。

黒 木:お気持ちはかかりますが、実は、私は医師の立場から見ても、どんどん証拠保全をしてもらった方がよいと考えているのです。

A医師:えっ、それはどうしてですか。

黒 木:患者側弁護士が証拠保全をする目的は、カルテの写しを入手するためです。そして、これを他の医師に見せて意見を聞いたりして提訴して勝てるかどうか、見通しを立てたいのです。つまり、カルテの証拠保全は一種の情報公開であり、改ざんの恐れがあるというのは、証拠保全制度を利用するための口実に過ぎません。

A医師:証拠保全をしても正式裁判にならないこともありますか。

黒 木:患者側がカルテを検討した結果、提訴は無理だと分かって断念するケースは、日常茶飯時です。私の経験では、提訴されるのは半分以下と言っても過言ではないでしょう。これは、証拠保全が無駄な訴訟を防ぐ機能を果たしていると評価してよいと思います。