■ 医事紛争Q&A  (平成9年2月16日 北海道医報掲載)

「治療費不払」 
               北海道医師会 顧問弁護士 黒 木 俊 郎


私は開業医ですが、先日、私の病院に深夜自殺未遂者が担ぎ込まれてきました。手当の結果なんとか一命をとりとめ、数日後退院できる状態にまで回復したのですが、治療費を請求したところ、自分は治療をしてくれと頼んだ覚えがないと言って払おうとしません。事務長が「治療費を払わなければ退院させられない」と退院をストップさせたのですが、目を離したすきに逃げてしまいました。
治療費は大した金額ではありませんが、徹夜で懸命に手当した当方の苦労を無視した相手に、法的制裁を加えて懲らしめてやりたいと思います。告訴することは出来るでしょうか。


無銭飲食(詐欺罪)などのケースと似てはいますが、この事件では詐欺罪は成立しません。従って、刑事告訴は無理でしょう。しかし、治療費支払請求の民事訴訟を提起することはできます。勝訴判決に基づいて治療費を確実に取立てることにより、相手を懲らしめるのがよろしいでしょう。

【質疑応答】

A医師:患者から診療を頼まれてなくても、医師には治療費を請求する権利があるのですか。

黒 木:その通りです。通常医師は患者の依頼で治療をし、治療費の支払いを受けます。これは両者の間に診療契約が結ばれ、医師が診療報酬請求権を取得するからだと解釈されています。ところが、患者の依頼がなくとも、事故などで失神状態になっている者に必要な処置を施すことは、民法の「事務管理」に該当しますので、医師は必要とされた治療の範囲に限り、治療費を患者に請求できるのです。

A医師:患者の親、兄弟など近親者が病院に患者を担ぎ込んでくることが多いのですが、近親者には請求できませんか。

黒 木:親者との間で診療契約が締結されたと解釈できる場合には、治療費を近親者から取立てることも可能です。できれば、診療開始の時点で、近親者が治療費に責任を持つという念書を提出させておくことが望ましいでしょう。

A医師:治療費を払わない相手から取立てるには、どうしたらよいでしょうか。

黒 木:まず、文書(内容証明郵便が望ましい)で支払を請求し、応じない場合には、裁判所に支払命令の申立か支払請求訴訟を起こします。
裁判は弁護士を立てなくでも出来ますが、内容証明で催告しても支払わないような相手なら、弁護士に依頼した方がよいでしょう。

A医師:実際に病院が治療費請求の裁判をする例は多いですか。

黒 木:通常の健康保険診療では、病院から患者に請求できるのは自己負担分だけですから、提訴する例は、ほとんどありません。しかし、交通事故被害者の治療や救急医療では、未払いの治療費も高額になりますので、裁判も珍しくありません。その場合、被告は「必要のない治療をした」と主張して争い、法廷で医学論争が繰り広げられる例が増えました。
 私が担当した事件でも、Bという患者を治療費不払いで提訴しましたところ、Bは治療の大部分が不必要だったと主張しました。しかし、裁判所はこれを認めず,第1審は医師の全面勝訴となりました。Bが控訴しましたが、第2審で裁判官の和解勧告が出て、治療費全額を分割で支払うという内容の裁判上の和解が成立し、全額完済させました。

A医師:治療費の時効は、何年ですか。

黒 木:一般債権は10年ですが、医師の治療費請求権は「3年」という短期消滅時効が規定されています。油断するとすぐ時効で取れなくなりますから、注意してください。