■ 医事紛争Q&A  (平成8年4月16日 北海道医報掲載)

「診療録の提出義務」       
                 北海道医師会 顧問弁護士 黒木俊郎


先日、裁判所から交通事故で当院に入院していた患者の診療録を提出するようにという文書が届きました。患者が事故の加害者を訴えた裁判の審理のために必要だとのことです。しかし、患者はまだ通院中ですし、病院として保存する義務のある診療録を、裁判所からの一片の通知だけで提出してしまうことには、抵抗があります。どうすればよいでしょうか。


裁判所から来た文書は、民事訴訟法第319条による文書送付嘱託という制度に基づく ものです。従って、法的根拠のあるものですから、善良な市民としては、これに応ずるのが原則です。しかし、診療録を提出してしまうと通院中の患者の診療に差し支えるばかりでなく、患者の秘密を侵害するという問題もあるので、その対策を講じる必要があります。

【質疑応答】

A医師:先ず、診療録を提出してしまうと、通院中の患者の診療に差し支える点についてはどういう対策を取ればよいでしょうか。

黒 木:オリジナルの診療録(これを原本といいます)は、医師法によって作成保存が義務付けられておりますので、裁判所に送る途中で紛失でもすると大変困ります。しかも、裁判所に送付した書類は、裁判終了後でないと返還されないのが通常ですから、以後の患者の診療にも差し支えます。そこで、原本ではなく診療録のコピーを提出することをお勧めします。

A医師:原本ではなくコピーを提出することに ついては、裁判所の了解を取る必要がありますか。

黒 木:裁判所が求めているのは原本です。従って、裁判所の書記官にコピーでもいいかと問い合わせをすると、いや原本を送って下さいと言われます。書記官には、原本に代えてコピーの提出を許す権限はないからです。そこで、事前に問い合わせなどせずに「患者の診療のため原本を必要とするのでコピーを提出する」という文書を付けて、一方的にコピーを送付するのがよいでしょう。この場合、裁判所は、どうしても原本を送れとは言ってこないのが通例です。

A医師:診療録のコピーを裁判所に提出しても患者の秘密を侵害したと言われないためにはどうすればよいでしょうか。

黒 木:裁判所の命令には法的根拠がありますので、これに応じても守秘義務違反にはならないというのが通説です。しかし、診療録には、患者の病歴や家族関係症状経過、診断病名などが記載されていますので、患者はその内容が他人に知られることに重大な利害関係を持っています。従って、たとえ裁判所の命令で提出する場合でも、事前に患者に連絡して事情を説明し了解を取る必要があると考えます。特に、最近の交通事故の裁判では、加害者が加入している保険会社が「患者の怪我が詐病ではないか」とか「他覚的所見がないのに患者が賠償金欲しさに不当に長く入院したのではないか」とか「病院が不必要な治療をして治療費を増加させたのではないか」というような疑いを抱き、その資料として診療録の送付嘱託申立をすることも珍しくありません。その場合、病院が患者に一言の相談もせずにさっさと診療録を裁判所に送るようなことをすると、患者は病院に裏切られたと思うでしょうし、信頼関係にひびが入って以後の診療に悪影響が出る恐れがあります。
 従って、病院が保険会社に味方しているなどと患者に誤解されないよう、事前に患者に十分説明して納得を得ることが大切です。