■ 医事紛争Q&A (平成8年10月16日 北海道医報掲載)
「癌の告知」
北海道医師会 顧問弁護士 黒 木 俊 郎
Q
内科の開業医ですが、癌の告知の問題で悩んでいますので、ご指導下さい。患者は胃の痛みを訴えて来院し、検査の結果、ボールマンV型進行胃癌(末期癌)を見つけました。延命のために速やかに手術する必要を認めましたので、外科の病院と相談のうえ、手術のため転医させることにしました。しかし、患者に末期癌を告知するわけにはいかないので「胃に大きな腫瘍がある」等と言って手術を勧めましたが、患者は、「手術はいやです。胃の痛みも軽くなりましたので、様子を見ます」と言って、転医に応じません。患者は奥さんと二人暮しだというので、患者の奥さんから手術を受けるよう説得してもらおうと思いましたが、奥さんも心臓病で他の病院に通院しているという話でしたので、夫が末期癌だというような話をするとショックで心臓病が悪化するといけないので、奥さんにも癌を告知していません。私が何度説得しても患者が外科に転医しないので、しかたなく私が抗癌剤の投与などをしていますが、効果がありません。このまま治療を続けて患者が死亡した場合、私が法的責任を問われることになるのでしょうか。
A
患者の死後、先生が遺族から訴えられた場合、敗訴する可能性が大だと思われます。現に東京地方裁判所は、本件と似た経過で癌の告知がないまま患者が死亡してしまった事案について遺族の訴えを認め、医師は患者本人に癌の告知ができない場合、積極的に近親者との連絡をとるよう努力すべきであったのにこれを怠ったとして、医師の過失を認め、慰藉料の支払いを命じました。(平成6年3月30日判決、判例時報1522号104頁参照)
そこで、先生が取るべき手段ですが、第1は、患者に癌を告知し、手術をすれば延命が期待できるという説明をして手術を勧めることです。真実を告げても患者が手術を受けない場合、医師に責任はありません。
第2に、患者本人に告知できない場合には、患者の親族に癌の告知をし、親族から手術を受けるよう説得してもらう必要があります。患者の死後、相続人として提訴する可能性が高いのは、奥さんと子供さんですから、後日の紛争防上のためにも、患者の生前に、奥さんか子供さんに手術の必要性を告知しておくことが大切です。子供らから説得しても、患者が手術を受けないことも考えられますが、その場合には医師に法的責任はありません。
【質疑応答】
A医師:東京地裁の判例は、医師に酷な判断だと思います。癌を告知するかどうかは、現場の医師の裁量に任せるべき問題であり、医学に素人の裁判官が介入するのはどうかと思います。
黒 木:それは、先生の誤解です。判例も、患者本人に告知するかどうかは、第一次的には医師の裁量によるべきだと認めているのです。しかし末期癌であっても手術によって延命できるのであれば、患者にその点を説明して手術を受けるかどうかを選択させてあげる必要があり、患者の自己決定権の尊重が問題となります。そこで裁判所は、医師が自己の裁量で患者本人に説明しないのであれば、その代わりに親族と連絡を取り、親族から患者を説得させるよう努力すべきだというのです。
A医師:なるほど。すると問題の本質は、癌の告知ではなく、患者の自己決定権の尊重にあるわけですね。
黒 木:そのとおりです。患者が正しい自己決定をするためには、正確な情報提供が必要であり、その情報の一つとして、癌の告知とその治療手術としての手術の勧告があるのです。