■ 医事紛争Q&A   (平成8年4月1日 北海道医報掲載)

「診療録の保存期間」      
                  北海道医師会 顧問弁護士 黒木俊郎


医師法では、診療録の法定保存期間は5年間と定められております。そこで、私の医院では、5年を過ぎたカルテは廃棄処分にしておりますが、最近友人から、「医療過誤の時効は10年だから10年間は保存する必要があるよ。」という話を聞きました。本当でしょうか。


ほぼ本当です。
ただし、それが絶対かといえば、そうではなく 一応の目安として10年間保存することが望ましいと言えましょう。


【質疑応答】

A医師:先ず、時効の点からお聞きします。昔、法医学の八十島教授の講義で、不法行為の時効は3年だと教わりましたが、医療過誤の時効は、10年に変わったのですか。

黒 木:法律が変わったのではなく、解釈が変わったのです。昔は、医療過誤による損害賠償請求は、民法の不法行為として提訴されていました。不法行為の時効は3年ですから、医師法24条によりカルテを5年間保存しておけば、十分だと考えられていたのです。ところが、昭和40年代になると医療過誤訴訟で債務不履行を理由として医師が敗訴する判例が続出し、以後、患者側が債務不履行で病院を訴えるのが普通となりました。債務不履行の時効は10年ですから、債務不履行に該当する事件では、カルテを5年間しか保存していないと、裁判で医療の正当性を主張することが困難になることがあります。

A医師:医療事故が、裁判で債務不履行になる場合と不法行為になる場合の区別を教えて下さい。

黒 木:裁判実務では、患者が病院、診療所の経営者を訴える時は、診療契約の債務不履行として提訴するのが通常です。また、勤務医個人を訴える時は、その医師の過誤による不法行為を主張して提訴します。裁判所は、原告の主張に対して判断を示しますので、債務不履行として提訴されれば、債務不履行の成否だけが審理されます。

A医師:事故から5年以上過ぎてから提訴されるケースが実際にあるのでしょうか。

黒 木:現在、医療事故110番などが行なわれ昔の医療事故でも弁護士が積極的に取上げるようになりました。その結果、事故後5年たってから提訴される例も珍しくありません。北海道でも最近、 10年の時効完成の直前に遺族が提訴した例があります。

A医師:そうすると、どうしても10年間は、カルテを保存しておかなければならないのでしょうか。

黒 木:債務不履行の時効との関係では、一応、10年間保存することが望ましいでしょう。しかし、理論的には、 10年間保存しても十分とは言えないのです。

A医師:えっ、どうしてですか。

黒 木:例えば、不法行為の時効は、「損害および加害者を知ったとき」から進行すると規定されています。つまり、医療事故が不法行為に該当する場合には、患者が病院側の故意、過失によって被害を受けた事実を認識した時から時効が進行しますので、病院の過誤だと認識したのが事故から15年後だとすると、時効の3年を加えて、事故後18年間は提訴される可能性があるのです。現に、数年前札幌地裁でも医療事故後19年目に患者が提訴した例がありました。

A医師:えっ、それではカルテを際限なく保存しなきゃあならんのですか。

黒 木:いいえ、民法では不法行為の3年の時効と一緒に20年の除斥期間を定めていますので、不法行為の時から20年で損害賠償請求権は消滅することになっています。

A医師:私の病院は狭いので、10年分のカルテを保存するのも難しいのに、20年間も保存しろと言われても困ります。

黒 木:道内のある大病院で施設に余裕があるのでカルテの20年間保存を試みたことがあります。しかし、やがて保管場所が足りなくなりましたので、病院の空部屋にテナントとして入居していた歯科医に立退を求め、最後は裁判までして立退かせ、カルテの保管場所にしたことがあります。

A医師:「風が吹けば桶屋が儲かる」に似た話ですね。

黒 木:そう、「医事紛争の風が吹けば、歯医者さんが追出される」というわけです。

A医師:追出す歯医者さんもいない私の病院で実行可能な方法はないでしょうか。
黒 木:現実的対策としては、将来医事紛争が予想される症例のカルテは10年以上の長期保存、それ以外のカルテは5年間の通常保存とするのがよいと思います。遺族が病院に抗議したり、説明を求めに来たような症例は、たとえその時は納得して帰られたとしても長期保存にすべきでしょう。なお、医療法施行規則第20条11号は、診療録以外の手術記録、検査所見、X線写真などの「診療に関する諸記録」については、保存期間を2年間と規定していますが、裁判ではこれらの記録が 医師の防御に大変役立つことが多いので、どんな場合でも最低5年間は保存すべきでしょう。